井上円了が琴ヶ浜、鳴り砂を愉しんだのは
明治42(1909)年5月31日
晴れ


円了、明治24年大国村へ

 明治42年4月29日、午前8時半、三田尻駅に着し、茶店に小憩の上、腕車をやとい、風雨をおかして行くこと17里、夜に入りて島根県石見国鹿足郡津和野町<現在鹿足郡津和野町>に入る。途中、歓迎者あり。車上、出雲に入るの予吟を試み、二詩を得たり。〜略〜津和野町宿所は綿屋旅館なり。

 早々に、以下の地域を精力的に歩き開会している。

畑迫村、日原村、豊田村、高津村、東仙道村、都茂村、益田町、種村、安田村、鎌手村、三隅村、浜田町、国分村、有福村、川波村、江津村、跡市村、市山村、川本村、矢上村、市木村、出羽村、都賀村、大森町(5月27日、会場および宿泊は西性寺。主催は町長河泉波衛氏、西性寺住職竜善明氏、永泉寺住職赤松慈潭氏)、大家村、波積村、温泉津町(5月30日、西楽寺にて、開演。住職菅原誓成氏、町長山田信太郎氏、大浜村梅田謙敬氏、木村(糸+斗)夫氏、湯里村三明得玄氏、家迫伊三郎氏。当所は港湾と温泉を有す。午前、入浴を試む。

 31日晴れ。早朝より天神山公園に登りて遊覧し、亭名を選して雲波亭、松月亭を書し、更に車を駆りて石州の一勝地たる琴浜に至る。京北中学校出身者山崎久敬氏、あらかじめ砂上に小亭を仮設してわが行を迎う。人の砂をふみて行くに、その声琴音に異ならず。


 馬路浜頭傍水行 曾聞此地有琴名 白砂一帯清如洗 歩々自成天楽声

(馬路の浜辺を海に沿って行く。かつてこの地には琴の名がつけられていると聞いた。 白い砂のところは清らかにあらったかのごとく、一歩一歩の足下からその名のごとく天然の琴の音が起こるのであった。)

 この辺りすべて余が旧遊の跡なり。さらにまた車を飛ばして大国村<現在邇摩郡仁摩町>満行寺に入る。石州第一の大坊なり。小笠原浄覚氏これに住す。開会は大国村長中原乙市氏、有志家安井好尚氏、馬路村長小田善之介氏、宅野村河峰卓郎氏等の発起にかかる。安井氏は旧知にして、開会に尽力あり。遠く浜原まで出でてわが入郡を迎えられたり。聴衆満堂、千人以上と称す。

6月1日 晴れ。朝来、海浜にいそいて車行し、左方に辛島を望み、波光松影の間を縫って、五十猛村正定寺に至り、ここに開演す。村長柿田徹夫氏、浄円寺住職藤本文豪氏等の発起にかかる。また、林愛吉氏の宅に少憩して留精松を見る。〜略〜

資料:東洋大学井上円了記念学術センター編 新編 全国巡講日誌 鳥取県・島根県編 井上円了