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ムクロジ(無患子)

 

(1)無患子の芽、変な心配

 『青少年のための科学の祭典』2002が開催された東京北の丸公園で拾ってきた無患子が芽を出して一週間程がたった。

 友人からもらった無患子の種をもう2年間も水に浸けているが全く芽を出してくれていない。今も水に浸けている。

 北の丸公園で拾ってきた種は、少し割れていて、白緑の豆が見えていたのである。それをペットボトルを切って鉢を作って、田土に植えていた。小さな芽が出てきたときはうれしかった。割れていた種は5個ほど植えているはずだが、目が出ているのは一ヶだけである。

 芽が出てきたのはうれしいが、さて、これが大きく成長してくれるだろうかと心配になった。どうすればちゃんと大きくなるか?昨日、健ちゃんの家から大きな鉢をもらってきた。『健ちゃん、この鉢もらってもいいかな」ちょうど草刈りをされていたお母さんに「これ志波さんにあげてもいい?」「あ、良いよ。そんなので良いの?」「え、いいです。無患子の種が芽を出してきたので、植え替えようかと思っているんです。大きくなったらここに植えましょう」「そう、、、」これに植え替え、きれいな土を買ってこようと予定している。今の時期に植え替えていいのだろうか。

 子供が産まれたとき、この子はどう育てようかと心配はしなかったと思う。しかし、いま、無患子の種が芽を出したとき、これから先の成長を心配してしまった。たかが一つのムクロジの種の成長にどうしてそんな思いをしてしまったのだろうか。

 地に下ろして、ほっておけば自然に大きくなるのだろう。きっと北の丸公園で発芽し、そのままにしておけば大きくなるのだろうが、しかし、北の丸公園では芽が成長したとしても人為的に刈られてしまい、意識して育てないかぎり、まずは成長するとは思えない。

 なんとか、仁万に居る間に、この鉢で丈夫な無患子の木に育なければ、、、。

 

(2)羽子板、その音の懐い出

 子供のころ、もう半世紀程も前、お正月には、庭先で兄弟姉妹、家族で羽子板を楽しんでいた。正月が近くなると、いつも新しい羽子板が買ってあった。父が買ってきたのだろうと、今、思った。母は、毎日のように家でピアノを教えていたので、外に出ることはほとんど無かったから、買ってきたのは父だったはずである。

 板は、父の手作りと思われる絵のないものもあった。正月には5人の兄弟で競技をし、お菓子をもらった。楽しいお正月であった。

 羽子板の羽根が無患子であるということは、仁万に来て知った。そしてその種が手に入ってそんな昔のことを懐かしく思い出した。「作ってみよう、、、でも、羽が、、、」馬路の高山会館の横に鶏小屋があることを思いだし、「それで羽子板の羽に、、、」と、高山会館に行ったとき数本集めた。東京で拾ってきた無患子の種に孔を開け、その鶏の羽を糸で束ね、接着剤とともに孔に埋めて取り付けた。それらしき羽ができた(上写真)。

 羽ができ、お盆にしている平板で突いてみた。「カチン、カチン」と、懐かしいそれらしき昔の音が響き、子供のころの風景が浮かんできた。



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