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馬路診療所跡が馬路の文化館/感/歓に変身 <<< 高山会館 >>>
2005.3鏝絵会場と鳴り砂会場は閉鎖されました.
島根県邇摩郡仁摩町馬路には、鳴り砂の浜で有名は、白砂青松の砂浜、琴ヶ浜がある。山陰本線を挟んで、その東側国道9号との間に、馬路診療所があった。その診療所が廃止になり、それを改築して、馬路に残され受け継がれてきている宝物の展示会場として有効利用され、また、馬路住民の交流の場に変わった。
そのオープンセレモニーが、2002年(平成14年)4月14日に行われた。晴天に恵まれ、イベントは予定通り、9時から一般公開され、10時から式典がプログラムにしたがって行われた。
この会館の使用方法は、以下の通りである。飛び入りで見えた方には、ちょっと不便ですが、現状の運営では致し方ないところがあります。追々、改善されていくと思います。
上:8時を過ぎて行ったときには、もう準備ができかけていた。
右:関係者が集まり始める。
上:仁摩町立馬路小学校跡の看板が、今も立っている。上左:新しくなった高山会館の看板。
地元の方が、書かれた。
一般公開 上:鏝絵(こてえ)たくさんの鏝、道具が並べられている。作成の途中である。(2005.2閉館,卓球場となる)
上左/上右/右:鳴り砂展示室(砂 響感)顕微鏡で、砂や貝の観察ができる。鳴り砂や砂について知ろう。これから少しずつ資料を集める予定。微小貝がきれい。砂の展示室もあるよ。(2005.3閉館)
左:囲碁の部屋。10台ほどある。
式典 上 :仁摩町三役(左:収入役、中央:
助役、右:町長)
左右:鏡割りと振舞い
※振舞い酒。酒は、山から切ってきた竹で作ったコップで!風船は、帰りに、子供達にお土産。
※紅白餅、お菓子などの振舞いも、、、 池月会の花見=もう吉野桜は終わっている(左写真後の木が桜)
上:池月会の花見左:弁当の包装紙(居酒屋:えぼし、仁万)
仁摩の様子 左:高山会館の川向こうに鶏。ここの卵は、馬路の店で売られている。皆さん、産むのを待っておられるという。一度、私も買ってみよう。
右:八重桜の咲くころ
前日13日、土曜日は遅くまで準備をした。日曜日は、8時に健ちゃんが私のうちにやって来た。「天気が良くて良かったですね。それだけを心配していました。」「そうだね。こんなに天気になって、、、雨だったらと心配していたけど本当に良かったね」天河内の坂は、まぶしいくらいの好天であったが朝の自転車はちょっとひんやりとした。坂道を登り終え、ちょっと国道9号を下ると、右側に遠く琴ヶ浜が目に飛び込んでくる。右い折れると、すぐに広い駐車場のが見え、そこが高山会館である。
もう、紅白の幕が掛けてあり、準備は9部通りできていた。二階の鳴り砂展示室に上がって最終のチェックをした。やはり、テープがはげているところがあり、修復した。診療所跡であり、消毒の匂いがかすかに残っていた。「健ちゃん、お香は持ってきた?」「はい。どこで焚きましょうか」「トイレの中で良いのではないかな」持ってきていたお香を専用のお皿に立ててライターで焚くと、好い香りが漂ってきた。花も、来る道筋に咲いていた草花をペットボトルに生けた。
8時半頃になると、次第に人が増えてきた。9時からの一般公開であるが、もう建物の中に入ってきて、展示物を見学する人もあった。一階には、写真展と鏝絵の展示、二階は鳴り砂や微小貝の展示がされている。隣の建物は、囲碁の部屋であり、カラオケもてきる部屋になっている。その部屋は、来賓の控室になり、長テーブルにお茶菓子が花と一緒に飾られ、また、床の間には生け花が飾ってあった。
9時を過ぎると、大勢の方が見え、玄関は靴でいっぱいになっていた。健ちゃんは、資料や展示物を実演を交えながら丁寧に説明していた。10時頃には、100人を超える人が集まってきた。新聞記者もやってきて、関係者にインタビューしていた。私のところにもやって来て、鳴り砂のことを聞いてきた。
この展示会場は,2005.3閉鎖され,憩いの部屋に変わりました.
2002.4.17. = 山陰中央新報 =
※ 報道記者は、人の話を良く聞いていない。私は、「鳴り砂」(narisna)と、強く指摘していたのに、新聞では「鳴き砂」(nakisuna) と、使っている。報道では、言葉の使い方はもっとも重要なことではないのか!もっと注意を払ってもらいたいものである。中国新聞も同じ!
2005.3鳴り砂館は閉鎖されました.
町長の祝辞があり、その後鏡割りの後、振舞いが行われた。
セレモニーは11時頃に終わったが、飛び入りのカラオケは、お昼過ぎまでにぎわっていた。お昼は、今年は早い桜であり、葉桜の下での会費制での昼食であった。皆で漕ぎ着けたオープニングに、口々に喜びが伺えた。健ちゃんも、日ごろから念願していた鳴り砂研究室に近いものができたことにことのほか喜んでいた。これからどのような会館になっていくのか、みんなの手腕が掛かっている。わたしとしては、誰でもが気軽に入れて、馬路の宝物、左官さんの趣味の鏝絵、琴ヶ浜のこと、鳴り砂のこと、囲碁のことそして馬路に残るお祭り、食べ物、人情を語り合える場となればと思う次第である。ボランティアで参加している鳴り砂のことについて、素晴らしい鳴り砂の浜を持っている馬路から、その情報が発信できればと願うものである。どれだけお手伝いできるか、先は見えないが、ごちゃごちゃと集まる情報箱ができればと、楽しい場になるのではないかと楽しみにしている。ゆっくりとした時間の流れで登っていけたら、皆が幸せになるのではないかと、自分にも期待している。
歩いていると、いろいろなものが見えてきて楽しいものである。狭い馬路である。今までにどれくらい同じ道を歩いただろうか。海岸線に沿って一本の道が通っているだけである。たくさんの友達もできた。通り掛かりの人とも声を掛けた。手紙のやり取りが(メール)続いている人もいる。激しい議論をした人もいる。楽しい話しを海辺でした人もいる。別れてしまった人もいる。琴ヶ浜を歩いていると(自転車)いつもその人たちのことが思いだされてくる。ここでであったな、いまどうしているのだろうか、、、そんな想い出が、波の動きのように静かにそして時には激しく私の心の中で行き来する。そんなわたしの琴ヶ浜になっている。だから、いつも同じに見える道でも、いつも違って通ることができる。寂しくもあり、楽しくもあり、時には悲しくもある。そんなとき、慰めてくれるのは楽しかった想い出であり、虫の音であり、小さな草花であり、声を掛けてくださる馬路の人である。最近は、小さな草花がとてつもなくかわいらしく、きれいである。虫の世界って素晴らしいんだということを知ることができたのも、琴ヶ浜を歩いているからだと思う。それは私への大きな贈り物であり、宝物となったと思っている。鳴り砂からの贈り物なのだろうか。母からの贈り物であろうか。
昨日(5月16日)、新しい友達ができた。私のファイルにある小さな草花を見せた。「や〜〜、志波さん、これ皆さんに見ていただいたら、、、展示会をしましょうよ。私はアリになりたいワ」その言葉を聞いて「あ〜、同じようにこの小さな世界を見て感動してくれる人がいたんだ」と、うれしかった。「そうね、やりましょう」そんな約束をした。
昼食会は、3時頃まで続いた。後片づけをし、もう一度二階に上がった。遠くに波の音が聞えてくるように外の景色が写った。
お酒がまだ少し残っていた。坂道を上るのがちょっと辛かった。きれいな花が揺れていた。健ちゃんと家でこれからの夢を語り反省会をした。やりたいことがたくさんである。時間も費用もかかる。ゆっくりと正確に歩くことでそれらは克服できる。きっとこれは力強い方法である。食堂で夕食を摂り、8時を過ぎて、健ちゃんは笑顔で帰っていった。
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