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Internet Exprlorerで開くと、自動的に1回だけ、乙見神社からの神楽笛太鼓が遠くに聞かれます。もう一度聞くときは、command+R(Mac)

祭り

〜 2002(H14)年1014日 〜



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道すがら|
最終チェック|
約束|
巡行|
アングル|
乙見神社|
山道|
夕食|
草花と自然]

 



[朝]

 昨夜は前夜祭、乙見神社の奉納芸能大会に参加した。そして今日は乙見神社のお祭りで、毎年10月14日に行われる。私は2度目の見物になった。

 ここ数日快晴の秋空の天候が続いていて今日も暑いくらいの良い天気である。「志波さん、何しとる」カーテンを開けたら近所の子がベランダによじ登って声を掛けてきた。「おはよう、今日はお祭りに行ってくるんだよ、今日は一人なの。」いつもは姉妹3人で遊んでいる明るい女の子である。「***はお父さんと釣りに行った」「あんたは行かなかったの」「家で勉強していた。ね、ね、ちょっと、このお魚触らせて。本物?」「そうよ、前もそう言ったでしょう」「でも、見ただけでは分からないんだもん」琴ヶ浜で拾ってきたからからの干物になっている魚を2年前くらいから、ベランダの物干し台からせり出してぶら下げでいる魚が、子供たちに人気になっているのである。それを外して渡した。ヒョイッと降りて「わ〜、本物だ。ざらざらしている、、、」

 10時ころ健ちゃんに電話したが、仕事ということであった。昨夜の前夜祭で、鳴り砂体験教室を開いたときに参加した子供たちが、健ちゃんに合いたいと「明日は是非、つれてきてよ」と約束していたのである。 Tシャツのアイロンプリントをあげるということも約束していたが、名前がわからなかったので、作っていなかった。名前を昨日聞いたので、今日、持っていこうと思ったが疲れて作らなかった。忘れていたのであるが、ブレスレットがあった。これは昨夜、作って用意していた。「玉の数はこれくらいで良いのかな」その子の小さな腕を思い出してたくさん持っている玉を出してつなげた。一つの約束が守れてちょっと安心した。

 自宅で仕事をして、早い食事を摂り布団を取り入れ、12半に出かけた。デジカメ、カメラそれに今年はMD録音装置を持った。お祭りの音も記録し、PDFファイルに使いたいと準備していた。ブランクのMDもセットした。MD用の予備の電池を忘れたのが、収録の制約となってしまった。

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[道すがら]

 途中で、接写レンズを忘れたことも、自転車で走ってて思い出したが取りには戻らなかった。白石のゲンノショウコウの神輿を撮りたかったが時間も迫っていたので、寄らずに天河内の坂を登っていった。国道9号から琴ヶ浜へ折れると自然の石を並べた溝にたくさんの茜の花が咲き乱れている。紫色の山薄荷もきれいに咲いている。岩場の蔦は紅葉が始まっていたが、まだ葉はついていた。葉が落ちるのを楽しみにしている。蔦は葉が落ち次に葉の枝(?)が、順に落ちていく。たとえばイチョウの葉が落ちるときには、木についている葉のつけ根から落ちていくが、蔦の葉は、葉の先端が先に落ちて、それからしばらくして葉と蔓の間の茎が落下するという面白い性質を持っている。その葉が落ちた跡の様子を撮りたいと待っているのである。一斉に落下するので残った様子が面白い模様を見せてくれるのである。この現象を、ちょっと忘れたが、面白いたとえであったが人生縮図に表現した文章を読んだことがある。

 さらに下り琴ヶ浜が見えるところに来ると、石垣の下の溝にまた茜が咲き乱れていた。ついに、自転車を降りてしまった。数枚の茜の写真を撮っていると、「良い写真が撮れるかな」後ろを向いたまま「はい」と返事をして振り返ると、松浦さんであった。「どちらへ、、、?」ここを通るより、下の通りの道を歩いたほうが近いと思って聞いた。「三差路に12時半集合になっているもんで」「そうですか」しばらくして自転車の向きを変えてそこへ走った。まだ、だれも集まってなく、神輿は小さな三角のコーナーのスペースに置かれていた。すぐに下の道から、上側からと集まってきて、最終の神輿の準備がなされた。私は琴ヶ浜を背景に花飾りの神輿を撮った。

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[最終チェック]

 今年は、ハンナカではなく、昨夜前夜祭で会場に展示されていた飾り花である。会場では広がっていた花は、竹の輪で絞りが掛けてあった。お祓いを受けたお札が花飾りの正面の高い位置にセットされ、太い長くて白いロープが前に、下り坂のときのブレーキ用の細い使い古した少し細い茶色のロープが後ろに結びつけられ、練り歩く神輿の準備が整った。「マイクはどこへ行ったかいね」「いま、松井さんが取りに行ったで」「そうか」「太鼓は?」「それも一緒に、、、」それらはすぐに車で運ばれてきた。太鼓は軽自動車で神輿の最後部から付いて行く。

琴ヶ浜を望む三差路の神輿
遠く高山をバックに花神輿


 9月の名月観賞の宴で釜野浜を教えてくれた方にあれから初めてであった。「こんにちわ、あれから次の日に釜野浜へ行ってきました。」「鳴いていましたかいね。云ったは良いが、鳴いただろうかと心配していましたで。」「行ったときは鳴いていませんでしたが、地元の人に尋ねたら、『時期によっては鳴いている』ということでした。」「そうですか、、、」「その足で、奥の方へ行ってみました」「あ、都合でしょう。どうでした?」「そこも鳴りませんでした。それよりさらに湯戸まで行ってきました」「あ、湯戸ですか」湯戸をご存知であった。「湯戸までは波が高くて行けませんでしたけど、その手前に、小さな浜があってそこは鳴いていました。小湯戸というそうです」「それは良かったですね」

「そろそろ行こうかね」聞いていた場所への神輿の移動が始まった。竹飾りのたくさんの花がゆらゆら揺れながら、琴ヶ浜を背景にした快晴の村落の細道をゆっくりと移動する。

 

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[約束]

 そこには、子供たちが自作した神輿と、池月会が担ぐ神輿があり、大勢の人が集まっていた。「わしさん、健ちゃんはどうしたの?」「仕事でこれなかった」「どうして、今日は休日でしょう。わしさんは休みで、健ちゃんはお仕事なの?」「いろいろな会社があるから、それは仕方ないよ」「ふ〜ん」

 「こんちわ」若い奥さん達からの挨拶がたくさんあり、これは琴ヶ浜体験学習のもう一つの効果である。「昨日は、”歌”お上手でしたね」前夜祭で歌わされた(?)カラオケの話である。「、、、そうですか、、、スポットライトの当たる舞台で歌ったことは初めてであり、照れ臭かったですよ。」

 「昨日はご苦労さんでした。志波さんの別の一端を見せてもらいました」「いやいや、、、」足下を見ると、完全な草鞋であった。「本物ですね」ハンナカではなかった。「いや、つま先が飛びだしているんで、足袋はすぐ孔が空くんで」見ると、なるほど、指に掛けるところが底の先端から出ているので、指が草履から飛び出していた。「踏ん張りが利くかも、、、」しばらくして、松浦さんは草履に履き替えてきていたが、「やはり歩きにくいですわ。紐が掛かっていないし、滑るわ、、、」周囲の人の足下を見ると、スニーカーの人が殆どであった。

[巡行]

 神輿が動き始めた。「ピィ、ピィ=エンヤ、ドンドン=トットッ、ピィ、ピィ=エンヤ、ドンドン=トットッ、ピィ、ピィ=エンヤ、ドンドン=トットッ・・・」このようは雰囲気の音収録は初めてで、カメラ2台とMDを操作する

出発を待つ子供たち
動き出した神輿
巡行

高見の見物
記念写真
郵便局前に到着

ここでUターン
休憩
天狗鼻、、、


には、バッグやポケットが必要であると思った。自転車の民家の軒下において、デジカメ写真、スチール写真を撮り、時にMDを回した。途中から神輿に乗った人の木やりの掛け声と弾き手の掛け声で祭りが盛り上がる。店々の前で休憩。大人たちは汗びっしょりである。休んでいるときに戻って自転車をとってきて、先回りをする。休息場ではお賽銭やご祝儀酒などが奉納されていた。

 琴ヶ浜は昨夜もそうであったが、白波が海岸線を大きく走っていた。郵便局のところへ自転車を置いて、神輿について歩いた。神輿は木車の付いたものが長い二本の白いロームを引く人たちで動き、下り坂になると、後ろの人で動きにブレーキが掛けられている。回転の出来る先まで行って、Uターンしてきて木屋前で休憩。わたしは、海の方へ行って、浜をちょっと歩いてみた。砂は良く鳴っていた。郵便局の前の広場に行った。なかなか神輿は戻ってこなかった。少々疲れ、石の上に腰を下ろした。

 敬老会のときも見かけた外人が私の前を通ったので、声を掛けた。「馬路にお住まいですか?」「イイエ、カワモト。タナカセンセイト、トモダチデス」「お、そこの」「Yes」「何をなさっているです?」「エイゴヲオシエテイマス。アメリカカラキマシタ。」「How long stay in Japan?」「One year」ミュージアムの砂時計のことや娘のことなどを話した。

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[アングル]

 まだ神輿は来なかった。”自転車で先に行こうか”その方が帰りが楽だし、、、神輿がやって来て、「ここで10分休憩!」またか、、、。私は歩いて先回りした。山陰本線の小さなトンネルを通って馬路駐在所の前を、畑の中の道を乙見神社の方へ歩いた。どこで撮ろうかと場所を探した。昨年のところは、葛が茂っていて、今年はそ土手を登って9号線に出れそうになかった。昨年、9号線から向こうの土手を降りるのは大変だということもあって、それはやめにして、場所を探した。小学校跡の土手に登ることにして、その場へ待機した。

 数人のお年寄りは、神輿より先に乙見神社へ向かっていた。神楽舞いを観る良い場所をとるためでもあったと思われる。神輿がついたときには、歩いていた人の何倍ものお年寄りが、もう舞台の見える境内の縁側に陣取っていた。今年は近くに駐車場が出来でいるが、数台の車が止まってた。きっと車で来た人たちであろう。

 日中でも虫の鳴き声が盛んな時期になっていた。コオロギに交じって他の虫も小さい鳴き声で鳴いていた。久しぶりにキャベツ畑に舞うモンシロチョウを見ることが出来た。しかし、むかしに見覚えのあるモンシロチョウの飛び交う風景とは違っていた。それは蝶のが数が少ないということである。ここでも少し待った。まだ、やぶ蚊が跳んでいて、ジッとしている腕にたかってきた。この場所は、山陰本線と国道に囲まれ、学校跡の体育館を中心に広がる畑になっていた。田んぼも数枚あるが、殆どが畑で、畑と云っても、家庭菜園の様なところが殆どである。畑には、あちこちにハンドが思い思いに転がっている。砂地の畑に水をやる溜めの水溜めである。”あれは水琴窟に良い形をしているな、、、あのくらいの大きさのものだったらどうだろうか、、、”そんなことを思いながらまだ来ぬ神輿を待った。

 「良い場所が見つかったかいね」写真を撮っている松浦さんである。「逆光になるからね、、、」太陽は、道路の後ろから射す方向に動いていた。私は陽を背にするような位置に構えていた。「あそこが良いんですが、今年は無理と思って、ここに」「いいね」松浦さんは、国道9号のトンネルの縁に陣取っていた。

天狗を先頭に、エンヤエンヤ、、、
JR山陰本線を上り列車が
国道9号の下を脱けると乙見神社へ
参道を進む神輿
乙見神社に到着
一気に駆登る神輿

 遠くから太鼓と笛の音のリズムに乗った掛け声が流れてきた。赤い幟が木々の合間から見え始め、次に子供神輿が続く。JRの線路から数百メートルの9号線のトンネルの細道いっぱいに神輿は私の前を通過していった。神輿の列は村祭りの風情いっぱいである。写真を撮って、すぐに神輿を追った。神輿は背を低くして、9号線の下を通過した。 曲がりくねった緩やかな上り坂になっている乙見神社に通じる道。ここは乙見神社の両サイドから小さな川が流れ込んでいる谷間になっていて、湿った土地になっている。

 神輿より先に全体が見える場所を探し、神輿を待った。狭い谷間であまりその場所はなかったが、神社近くの土手に何とかその場がとれた。子供神輿は、若さもあって少し離れて先にやってきた。神社の鳥居前に来ると池月会の神輿は一気に階段を昇った。先に行ってその様子をカメラに収めた。

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[乙見神社]

 皆は社に集まりお祓いを受けていた。社の右奥には、8月15日に琴ヶ浜に出た銀玉神輿が置かれていた。

乙見神社の本殿に集まる
MD良く聞えるね、と真剣
境内は賑やかに


 狭い境内は、子供たちでいっぱいになった。たこ焼き、フランクフルト、焼き鳥、ポップコーン、生ビール、ジュースが売られている。皆、俄の出店である。ハッピ姿の子供たち。手にお菓子の入った袋を下げて子供たちが寄ってきた。子供会が用意したお菓子袋である。「わしさん、疲れたよ」「何云ってるの、これくらいの歩きで、、、」「・・・」「ブレスレット、大きさはちょうど良いようね」「うん」「大きくなって痛くなったら、また言ってね。大きくしてあげるから」「どうして連絡するのよ」「そうね、ミュージアムにでも電話してよ。それとも住所教えようか」「携帯は持っていないの」「うん、メールならあるよ」「そう〜」「どうしたの、これ」友達が聞いていた。「わしさんに貰ったの、、、」「きれいね、銀、金、、、斑点がついて」

 境内はたくさんの人が行き交う。しばらくしてやっと神楽の舞台が始まった。  MDを出して、その神楽を録音した。「これなあ〜に?」「録音しているんだよ」「ちょっと貸して」イヤホーンをわたした。「わ〜、良く聞えるね。これ音が残るの」「そうよ」「最近は進んだものがあるもんですわね」「なによ、大人みたいな言い方で、、、」おちゃめで言っているのであろうが、小学2年生が言うような言葉ではないと驚いた。

 陽は大分傾いてきていた。社の茶色のカワラ屋根の一部に陽が落ちている。森の神社は影が広がってきた。小さな子供が境内に広がった舞台で舞っていた。「お腹空いたよ」一人の子が少し高台で見ていたところから数段の階段を下りていった。しばらくして焼き鳥をパックに入れて持ってきた。「お金、どうしたの」もう一人の子が聞いていた。「お姉ちゃんに買ってもらったの」三人の子供はおいしそうに串から抜いて食べていた。三曲ほど聞いて帰ることにした。「これが終わったら帰るよ。みんなはどうやって帰るの」「わたしはお母さんが迎えに来る」「近所のおばちゃんと私は歩いて帰る」「そう」

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[山道]

 境内の左側の道を降りて帰ることにした。郵便局までの歩きである。東の空には上限の月より少し大きな白い月が浮かんでいた。歩きながら森の中から聞えてくる神楽を録音し、草叢からはコオロギの鳴き声が盛んに聞えトンボが舞い、秋の深さを教えてくれていた。

乙見神社への道、サフランモドキ
乙見神社の鎮守の森
乙見神社に通じる道、?
 高山の中腹にある乙見神社に通じる道すがら、鎮守の森から聞えてくる神楽の笛太鼓、、、虫の音が秋の深さを増していた。
高山に浮かぶ八日の月
馬路駐在所横から、高山&城上山

 昨年の乙見神社の祭りで、この道を下るときに、遠くなった神社から聞えてくる笛太鼓の響きがノスタルジアを覚えさせてくれたので、今年はこの音風景を録ろうと楽しみにしていた最大の場であった。神社から次第に離れるにしたがって、聞えてくる音は笛の音と太鼓の音だけである。しかし、ふと気がつくと草むらからの虫の音が、きれいであるのに気づかされた。”あ〜ここまで自転車で来なくて良かった”乙見神社に通じる山道をゆっくりと歩いて帰りながら、馬路の秋を楽しんだ。

 最近は膝が痛くなって歩くのが辛くなってきている。登りのとき、何歳だろうか、80は超えているかもしれないと思える90度以上に腰の曲がったお爺さんが竹杖をついて元気に上がっていかれてるのに出会った。あの歩きからすると、馬路の町中から歩いてこられたのであろう。”きっと健康には負けない”という気持ちで歩いてあるのであろうと、私もそのような年まで、こうして祭りに来れるお爺さんのような身体にしておかねばと思いながらも、足が痛くなってきたのは悔しいと思いながら下っていった。

 畑のハンドをデジカメに収めながら、ゆっくりとなだらかな下り道を歩いて帰る。「志波先生、ご苦労様です。」顔は何度か観たことがあるが、名前は分からない。60を超えたくらいのかたで、「HPを見ていますよ」「ありがとうございます」急ぎ足で追い越していかれた。

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[夕食]

 昨年と同じところに置いていた自転車でゆっくりと戻った。展望台へ行く分かれ道の近くで、飯屋さんの車に出あった。車は停まり「志波さん、祭りの帰りですか」「え、疲れました」「家のコンピュータのインターネットがつながらないんですよ。暇なときで良いですから見てください」「そうですか、、、良いですよ」「同級生から電話が掛かってきて、志波さんのHPを見れみれと言うんですよ。急ぎませんから、、、」車はおばあさんを載せていて、下っていた。

9号線から琴ヶ浜に入る道筋
山薄荷(ヤマハッカ)

9号線から琴ヶ浜に入る道筋、茜


 9号線に出る手前の土手にサフランモドキが二輪、ピンクの花を咲かせていた。きれいだったので自転車を止めて降りた。直線には上れそうになく、細い道に回ってそこに行ってデジカメを向けた。戻る足下に、小さな紫色の花をたくさんつけた山薄荷も撮った。

 車が止まった気配を感じた。「志波さん、、、」私を呼ぶ声で振り返ると、何と飯屋さんであった。「お寿司を作ったので、少しだけど食べて」土手を降りて、車のところへ行って戴いた。ビニール袋に白棒の用になっているのが二本入っていた。「本当に少しだよ」「いえ、ありがとうございます」道草していたので、この近くで戴けた。そのまま走っていったら、きっと留守にしてしまったであろうと思った。車は9号線のT字路までいってUターンしてきた。手を振って別れた。

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[草花と自然]

 9号線は連休の終わりとあって、車が多かった。気になっていたゲンノショウコウの種を見に、天河内の坂を下りきって右の細い道に入っていった。たくさんの種が出来ていて、中にはあの独特の形で開ききっているものもあった。デジカメを向けたが、近接でのピントが合いにくく、愛用の接眼レンズを忘れたのが悔やまれた。それでも、何とか1,2枚とれた。

神輿花
野葡萄
夕顔?

 いつもなら山陰本線のガードをくぐって帰るのであるが、9号線のカラスウリが気になったので見るために9号線を走った。その場はきれいな緑の葉が茂っていた。カラスウリである。期待したウリは全くついていなかった。注意して見つけたがやはり付いていなかった。”あれ前に見たときにはクシャクシャした花の付け根に大豆くらいの実がついていたのに、、、どうして?”あきらめるしかなかった。

 太陽はもう見えていなかった。梅の屋というむかしからある食堂の脇に赤紫色をした大きな朝顔が数十個咲き乱れていた。朝顔?夕方にこんな時間にきれいに咲いているのは朝顔なんだろうか?夕顔って白い花のはずだが、、、デジカメの写真をよく見ると、葉っぱの形が覚えのある朝顔と違っているようである。



夕暮れに舞うつばめ
夕やみ迫る
祭り寿司

 疑問に思いながら、自宅に着く。ふと空を見上げると、少し赤くなってきた夕方の空にたくさんのツバメが舞っていた。え〜っこんな時刻に見たのは初めてなんだが、この時間に今日はどこに宿るのだろうかと思った。明朝は仁万の電柱に集合するのであろうかと期待して、部屋の時計を見た。5時半近くになっていた。

 戴いたお寿司とサラダを作り、MDで録ってきた音を再生しながら食事を摂った。たくさんのデジカメ写真の整理をした。そんな一日が終わった。

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