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琴ヶ浜体験学習

-2002.7.28,馬路子供たち-

準備

 前日は遅くまで最終準備をした。微小貝を拾うオリジナルピンセットも、工程参加人数を考えると10本では少ないと考え、更に5本作った。計画表の流れに沿って、小道具や説明文を順序にしたがって整理し、ファイルした。窓を開けていても、ものすごい暑く、裸でいても目に汗が流れ込むほどであった。シャワーをして、早くベッドに横になった。7時までには4時間ほどの睡眠時間であった。

 2002.7.28、7時40分の予定で、健ちゃんがやって来た。わたしは。7時に起きて、最終準備をしていた。チャイムが鳴って健ちゃんがやって来た。「おはようございます。今日はよろしくお願いします」「ご苦労様、今日も暑くなりそうだね。9号台風が気になっていたけど、良かったね」「そうですね」初公開のオリジナルTシャツと首から下げる名札をつけたスタイルで笑顔でやって来た。「お〜、格好いいね」胸には琴ヶ浜の砂の拡大写真をプリントし、背中には鳴り砂研究グループ、名前を入れている。左腕には島根県仁摩町馬路を明記し、シャツの裾には、英語でSinging Sand Resarch Groupとプリントしている。

 荷物がたくさんあって、運ぶのが心配であったが、自転車の後に何とか、つけることができた。健ちゃんも自転車に竹などを結びつけ、リュックも二段になっていた。

 お茶をコンビニで買って、9号線を離れて天河内の町中を走った。もう太陽は高くなり、暑さが強くなってきて額を汗が流れてきた。稲はもう稲穂が頭を出し始めており、夏の蝉の声に混じって、雀脅しが時々田園に響き渡っていた。琴ヶ浜に着くと、海水浴客がもう場所をとるために、パラソルを立てたりして賑わっていた。

 海は、よく見ると汀線近くは少し大きな白波が立っていて、船ででれるか少し心配であった。「あの波で大丈夫だろうかね」「ちょっと荒いようですね。でも、沖に出ている舟は静かですから、大丈夫でしょう」沖の方は青々とした海で、静かに見えた。集合場所には、松浦会長がもう見えていた。「おはようございます」「ご苦労様」挨拶をかわした。数分もしないうちに、山の方から、分担した小道具を持って地崎さんが下りてきた。「おはようございます」「おはよう、ごくろうさま」彼女もおそろいのTシャツを着ている。日焼けを防ぐために、そのシャツの上に薄い長そでシャツを身に着けていたが、胸の写真は見えていた。「名札は?」「あ、忘れていた」手提げ鞄から、また、おそろいの名札を出して胸に下げた。「写真を撮ってよ」わたしのカメラを渡して撮影担当をお願いした。「大丈夫かしら」「大丈夫、構図を決めるだけで、後はシャッターを切るだけでいいカメラだから、、、」すぐにうけてくれた。

 8時20分位になって、人が集まり始めた。ボートを出して水洗いしたり、トイレの中を水洗したりと準備を始める。9時近くになると、ほとんどが集まり、子供会のお母さんがたも分担して作業を始めていた。テント設営やボートを浜に下ろしたり、子供たちも総出で手伝った。やはり波は荒かった。少しでも低い波となっている砂浜を選んで、4艘の手漕ぎボートと救助艇が並んで、出番を待った。

 会長の挨拶が始まり、全体注意や健ちゃん手作りしてくれた名札の配付をし、私と健ちゃんそれに地崎さんの紹介をみんなにする。つぎに、私が、今日やる体験のあらましを説明した。1年生から6年生までの話しでちょっと時間が掛かった。砂浜での観測の仕方、砂の採取の仕方、貝のサンプリング、5,6年生のボートででるときの注意や砂のサンプリング方法、サンプリングする位置の計測方法、そしてあらかじめ表にしたメモ用紙を渡す。班編成されたところにはそれぞれ父兄が着いた。子供たちは31人で、欠席が5名でた。馬路の子どもは34名である。それぞれのグループに分かれて観測に入っていった。

 

体験

 私は舟で海に出た。一艘、一艘と荒波に向かって沖に出た。私は救助艇に乗ることになった。救助艇に乗っても、もし、何かがあっても救助できる訳ではないが、全体の舟の動きを見るために乗った汀線から100mを第一の採取位置としてサンプリングを始めた。サンプラーの使い方に慣れずに時間がかかった。波が荒く、作業は難航した。救助艇に乗っていて、私はその様子を見ていたが、サンプリングは、小学生の子どもには少し無理があった。

 舟は、ちょっと止まると、みるみる内に流されていた。汀線から延ばした100mのppロープもなかなか直線にはならず、概略の距離の計測となった。「おーい、深さ測定は、どの舟かな。こちらにきてこの位置の深さを測ってよ〜」大きな声で指示をして、舟が集まった。砂を採る舟、深さを測る舟それに写真を撮る舟と分けていた。その作業を海上で交代しながら皆が体験できるように決めていたが、ひとまとまりになっていない舟の状況ではその徹底ができなかった。「2.2mです」女の子の乗った船が水深測定班になっていて、一回目の深さを計った。「写真は撮っているかな。どの舟だ?」どうもその様子がおかしかった。返事がないし、採る様子もどの舟からも伺えなかった。その注意をするにも、遠くに離れている舟にいちいち確認するわけにもいかなかったが。一回りして、誰もカメラを持っていないことが分かった。私は自分の水中カメラを持ってきていたので、全体の様子をできるだけ記録した。

 女の子のボートは中学生の男の子が上手に櫓を漕いでいた。「すみません、気分が悪いと言っているんですが」気分が悪いということを聞きつけて、救助艇がその舟に近づいていった。「こちらの舟に移るかね。浜にもどろう」静かになっていた子は、静かに答えた。「大丈夫です」そういいながら、ちょうど次の水深を計って、記録担当で記録した。「じゃ、その舟は陸に戻りや」「はい分かりました」50mの巻き尺を受け渡すと、中学生男の子は、陸に向かって移動を始めた。

 「次!300m。松浦さん、ここにできるだけ流されないように止まっていてくれや。あのボートからヒモの端を採ってきて沖に行くから。道具を渡してよ」救助艇で次のところまで尺取り虫のように洋上を走った。「深さ4.9m」砂を取るのも上手になってきた。「砂が黒くなってきたな」同じように400mに移動した。時々大きな波が襲ってきて、一瞬、100m程向こうにいる舟が波のそこになって見えなくなった。

 400mで終わりにすることにして、戻ることをみんなの舟に指示した。「じゃ、これで終わりまーす。戻ってください」「おーい、先の舟は誰かが手伝わないと、降りれないで」女の子ばかりの舟はもう浜の近くまで走って小さくなっていた。

 「先生、折角ですからもう少し、先まで行ってみますか」私は少し船酔いの気分になってきていたが、行くことにした。救助艇には3人が乗っていた。もう一人は、大分前から気分が悪くなっていた。「引き上げようぜ」「いや、わしも起きの王の海底の砂はどんなものか見てみたいし、行ってみるべや」舟は頭を少し持ち上げるような姿勢で勢いを増して走り始めた。「海の色が変わったですね」もう陸に近いところと違った、一色の黒ずんだ青色に変わっていた。

 「この辺で700m位だね」「そうだいね、あそこが網屋だでね。ずいぶんきたな」「ジャーこの辺で採りますか。」わたしが下ろそうとしたら、運転手が自分で下ろし、引き上げた。2,3度失敗したが、4度目に何とかたくさんの砂が採れた。わたしは水深を測った「12.2m」私の右親指の内側の皮膚が大豆くらいの大きさに川が向け塩水でひりついた。

 舟は速度を上げて陸に向かった。もう、浜の砂を観察した子供たちが戻っているのが遠くに小さく見えていた。浜に近くなると波が大きくなり、舟は大きく上下に揺れた。浅瀬に入り、波のタイミングを見計らって、私は手すりのない救助艇から飛び降りた。それでも大きな波が私を襲い、腰まで完全に濡れてしまった。陸に上がると、裸足の足を焼けつけた。誰かが持っていってくれたのか、それとも流されたのかと思いながら、ひょいひょいと歩いて脱いだ靴を探したが見当たらず、テントまで戻った。もう一度戻って靴を探した。大分違ったところに置いていた。

 

一服と昼食

 時間は思いのほか過ぎていて、冷たいお茶を頂いたが、すぐにご飯となった。「おつかれさまでした。健ちゃんと地崎さんがねぎらってくれた。「そちらの方はどうだったかな」「僕の方はうまくいきましたけど、サンプルの位置が書いてないものもありました。」「最初だから仕方ないね」健ちゃんは、データとサンプルを整理していた。

 昼食は、子供会のお母さん方が、琴ヶ浜会館で焚いてきたサザエの煮込みご飯であった。容器によそって持ってきてくださった。浜で食べる食事はおいしかった。「志波さん、時間が大きくずれ込んでいるし、小さい子供たちは疲れているようだから、食事が終わったら、高山会館に行って志波さんの話しにしましょう」「そうですね、わかりました」子供たちの顔は皆赤い顔をしていた。私も先日天草取りで日焼けしたうえに、また黒くなっていることが、感じ取れた。

 冷たいお茶がおいしく、用意された西瓜はやはり夏の王様であった。「こんにちわ」読売新聞社の小渕さんだった。「もう終わったんですか」ビーチバレー大会の取材にきていたオ小渕さんがやってきて私に声を掛けた。「え、浜でのことは終わりましたけど、この後高山会館に行きます。」「ちょっと、子供たちを集めて、取材させてもらえませんかね」「分かりました。小渕さん、食事は?」「え、、、」この時間にきて、昼食を摂っていないことはすぐに分かった。私はお母さん達にお願いして、ご飯をよそってもらい、彼に食べてもらった。「お茶もどうぞ、、、」私も食べながら、今日の目的などについて、記者と話し込んだ。「志波さん、実は、9月で転勤になります。いろいろとお世話になりました。」「どちらへ」「福岡です」「そうですか、私も福岡ですが」「太宰府です」「頑張ってください。大田は何年でした」「2年弱です。これからもまたよろしくお願いします」小渕さんには、4月14日の高山会館のオープンの時にこの催しのことを少し知らせていたのであるが、良くきて頂いたとうれしかった。月曜日には、私を訪ねて、山陰中央新報が今日のことについて取材に来るはずである。金曜日に電話が入っていたのである。

 1時を過ぎたころから、テントの片づけが始まり、濡れきった子供たちは着替えに帰ったりで、人気が少なくなってきた。手分けして、ボートを片づけたり、ロープを丸めたり、お母さん達も全員で手際よく終わった。地崎さんも、午後から用事があるということで、昼食を終えてから、別れた。「ありがとう。疲れましたね」「わたしも楽しかったです」彼女の顔は、赤身を帯びていた。

 「志波さん、自転車はトラックに積みましょうか」松浦さんが気を使ってくれた。「ありがとうござます。いや、走っていきますから」健ちゃんと二人で、先に高山会館に向かった。日曜日とあって、たくさんの海水浴客で、浜は賑わっていた。


・1-4年生の体験風景

・5-6年生の体験風景


 

・会館の様子

 会館にはもう大勢の子供たちが集まっていた。「玄関の鍵が開かないのだけど、、、二階の窓はあいているのに、、、」暑い中、汗を流しながらコンクリートの広場で待っていた。裏から鍵を開けてそこから入る。一回の部屋の窓を開けると、むんむんとした部屋にひんやりと感じる風が通った。「二階に行ってもいいですか」数人の子供が聞いてきた。「あ〜、良いよ」数人が上がると、後に続いてほとんどの子供たちがわいわいと上がっていった。

「資料は二階にあるから、狭いけど二階でやりましょう」二階に向かうと、砂響感からは”キュッキュッ”と鳴り砂の音が聞こえ、砂展示室には多くの子供たちが砂を楽しんでいる様子が、階段を上がり始めたときから感じられた。

 会館は、クーラがあるのは二階だけであり、暑い部屋を冷やそうと窓を締め、クーラーを入れてみたが、暑さと子供たちの熱気で全くその効果はなかった。「あぁ、これはだめですね!」松浦さんは二階の全部の窓も、ドアも全開した。浜風の方が清涼感があった。

「じゃあ、みんなこちらに集まって」思い思いにじゅうたんに腰を下ろして集まってきた。写真で見るように、31人の子供が一度に集まるには、窮屈で、ドアの影になっている子供もいた。

 子供たちが体験し記録したデータを資料としながら、浜の鳴り砂の状況を話し、鳴り砂の特徴を説明した。なぜ鳴るのかを子供向けに話すのは難しいものである。とうより、その理由がまだ確立されていないからで、自分もはっきりと理解できていないのが、大きな理由であろう。調査により、鳴る砂と鳴らない砂の違いを分類しているだけであり、「1+1=2」というような、説明がつかないのである。それなりの理論が提唱されているが、どうも私の実験結果と違っているところがあり、その理論も理解できないところである。  

 そのような理論はおいおいと論ずることとして、鳴り砂は普通の砂に比べていちばん違うのは、砂の表面がきれいであること。これは写真を見せた。デジカメで撮った拡大写真も回して子供たちに見せた。「このTシャツの写真も、琴ヶ浜の砂の写真だよ」健ちゃんとおそろいのTシャツを見せてやった。地崎さんもいたら、3人のTシャツが並ぶとなると、もう少しインパクトがあったのにと思った。

 子供たちは、暑い砂浜で砂山の高さをデータとして取ってきている。その山の高さが、鳴り砂は普通の砂と比べて高くなることを説明する。電子顕微鏡で撮った砂の表面を見比べる。「普通の砂の表面には、小さな粒がたくさんあるでしょう。これがボールのように砂の表面で転ぶから、ズルズルっと、滑るんだよ。みんなはお茶わんを洗う手伝いをしたことがあるかな?」「・・・」「洗剤できれいに洗うと、キュッキュッって音がするでしょう。それは、この鳴り砂の表面のようにきれいだからだよ。滑りにくいから、お茶わんを洗っていると、そんな音が出てくるんだよ。鳴り砂はそれと同じように滑りにくいから、砂の山が高くなります。わかりましたか」「山の高さは、ここの長さと高さで決まります」小道具を使って説明する。「この長さと(底辺)高さが同じとき、この角度は、45°となります。これくらいの大きさです。」健ちゃんが、竹の棒でその角度を示す。「みんなの取ってきたデータには、38°というのがありますが、それはこれくらいのところです。」表を見ながら、高さを求め、その角度を、健ちゃんが示してみせた。「この角度のことを、ちょっと難しいですけど”安息角”といいます。」「一般に安息角が高くなると良い音がしてきます。みんなが取ってきたデータもそうなっていますね。海岸の方が次第に山が高くなってきていますし、調べた音も好いと◎付いています。」「じゃ、なぜ海の方が道路側より良く鳴るんだろうか?」「・・・」「よく観察すると分かるけど、、、道路側の方には海の波が来ないよね、そうすると、砂は汚れたまんまで、波で洗われることなく砂の表面が汚くなってしまうのです。そうすると鳴りません。鳴らなくなる理由はそれだけではありません。生活排水の汚れがそのまま海に流れ込んだり、心無い海水浴客が捨てたゴミなどもその原因です。鳴り砂は、どこにでもあるものではなく、珍しいものです。馬路のこの琴ヶ浜は日本でも優秀な鳴り砂の浜です。ですから、馬路の宝物として大切にしたいものです。砂浜を、そして海を汚さないようにするにはどうすればいいかみんなで考え、鳴り砂の音が消えないように、守りましょう。」

 「また、砂浜には小さな貝がいます。微小貝といい、1,2mmの小さな貝です。」写真を見せる。そして健ちゃんが作ってきた、本物の微小貝とその写真をセットにしたモノを回した。本物と拡大写真を見比べて、その小ささと美しさに感激しているようであった。「この貝はもう大人です。最近は貝が非常に少なくなっています。これもきれいな海にしかいません。きれいでしょう。これから、みんなが採ってきた貝がらの中から、この貝を拾います。」眠そうにしていた子供たちは、急に元気になった。「ここに下敷きがありますが、この貝は琴ヶ浜でとれた貝です。名前が裏に書いてありますから、自分が拾った貝と見比べて名前を調べてください。分からない人は、健ちゃんに調べてもらってね。健ちゃんは皆さんくらいのころから貝を拾っているんだよ。よく名前も知っているから、聞いてください」「それでは健ちゃんのところに行って、ピンセットと黒い紙をもらい、貝を拾いましょう。拾った貝は、チャック付きの小さな袋があるからそれに入れてください。じゃ、始めよう!」

 子供たちは我先きと言わんばかりに集まってきた。ピンセットをください、、、紙がありません、、、。健ちゃんは、貝を篩にかけてみんなに少しづつ分けてあげた。子供たちは思い思いに散らばり、じゅうたんに這いつくばって拾い始めた。話しの時とはその行動はまったく違っていた。拡大鏡は5個しかないが、子供たちは裸眼で上手に拾っていた。

 自分たちで拾ってきた貝から拾い出している様子を見ていると、自然に接するということがこれかと感じられた。これらの子供たちの中から、こうした自然に接する喜びを得て研究する子供が出ればこうしてできたことがうれしく思える。この方向への研究というだけでわけではく、物事を調べる力が育つであろうと思う。

 拾っていくうちに、「僕は巻貝を拾おっと、、、」貝殻の中に分類されることに気がついてきて、拾う子供も出てきた。健ちゃんは、その中に混じっている砂の中の高温石英の話をして、「ダイヤモンドが入っているから見つけてみよう」と、指導している健ちゃんの声が聞こえてきていた。「これダイヤモンドですか?」「ちょっと、違うな。これはそうだね」指導がうまくなってきていた。

 40、50分過ぎたろうか、子供たちの頭が上がるのが多くなってきた。砂つぶの大きさを計ることもやる予定であったが、時間と子供たちの様子をみて、砂粒の測定はやめることにした。時間は3時近くになってきていて、暑さは最高、子供たちは水筒のお茶を飲む回数が増えていた。私も下に用意してある冷たい麦茶を飲みに降りた。開放されている部屋には海風が通っていて、風涼を感じた。

 砂響感には、鳴り砂だけではなく、砂時計の実験装置や砂の展示などもしている。「これおもしろいですね」お母さんはペットボトルで作った砂時計に興味を持った。「この砂時計の容器はどうされたんですか」「コーヒーのボトルですよ。ポプラにうっているんですが、、、今はどうですかね。あまり、見ないですけど」「子供に作らせようかな、、、」「是非やってください。これは子供たちの工作にはいいと思うのだけど、今までにだれ一人作ろうというものが現れないんですよ。砂の量で流れる速さがどうなるか、水ではどうなのか、孔の大きさを変えたときにはどのように変わるのか、砂の大きさと孔の大きさがどれくらいの時につまり始めるのか、、、など、面白いと思うのですがね。そのよな実験はここでできますから、誰かやらないかと思うのですがね、、、」

 「そろそろ、やめますか」「そうですね」松浦さんは、みんなの様子を見てやめることにした。解散の声をかけると、子供たちはそれぞれ帰っていった。 部屋の掃除をして、我々も変えることにした。「志波さん、トラックに自転車を積んで送りましょうか」「え、ありがとうございます。でも、頑張って帰りますから、、、」松浦さんが気を使ってくださった。

 健ちゃんと、9号線を並んで時には一列になって登り、天河内の坂を下った。陽が落ちかけた天河内の坂は、心身ともに気持ち良かった。坂を下り終わると、山陰本線のガード下をくぐって、9号線から別れる。そろそろ稲穂が垂れてきている田もあった。

 

・帰りの道すがら

 「健ちゃん、元気?!」天河内の町並みを走って帰っていたら、V字の道路の向こう側から、声がかかった。「こんにちわ。ハイ、元気ですよ」ちょっと、通り過ぎたが、Uターンしてそこへ立ち寄った。「今日は何?」「馬路の子供たちと琴ヶ浜で鳴り砂や微小貝のことを調査してきたんです。」「そう。赤いリュックを背負って、よく自転車で走っているもんね」「先生にいろいろと教えてもらっているんで、楽しいです。」「健ちゃんが小さいころは、おとなしかったもんね」横で座っていた、健ちゃんのお姉さんと同級生という娘さんが笑顔でいった。さらに、「一番変わったのは健ちゃんじゃないかなー。健ちゃんの仲間を見ているとそう思うワ」「そうそう、いい出会いがあって良かったね」「ハイ、先生が仁万に見えたときは、夢のようでした。前から見えないかなーと思っていたんで、夢がかなったようでした。」「おばさんは、健ちゃんの充実している姿を見てうれしいよ。お母さんも喜んでいますよ。」「先生のアルバイトをしてデジカメを買ったんですよ。微小貝や砂を撮っています」「健ちゃんは、目標があっていいね」「ハイ、これかCDを作ろうと思っているんです。」「頑張ってるね」「これ、先生が作ってくれたんですよ。」おそろいのTシャツをうれしそうに見せた。背中を向けて「これ名前入りです」私もいっしょに背中を見せた。「おそろいのTシャツで、それは別にもう一つ作ってもらって飾っとかなきゃ。」

 「すごいね。きれいな砂の写真、、、」わたしはリュックに入れていた砂の拡大写真と微小貝の拡大写真を出して、あげた。「商工会で紹介しなよ、、、」「こんなきれいな砂ですか。これを知れば浜をきれいにしようという心になるのではね」「各地の砂の写真集を作ろうかと、いろんな条件をさがしているところなんです。大分うまくなったので、そろそろ整理しようかと始めています。」「これはきれいですし、写真集を売って研究費を作りなさいませ」「そうですね、それくらいできたらいいですね。高山会館で売ろうかね、健ちゃん、、、どこか個人でやったほうがいいね」「そのようなものが簡単に見れるような展示場があるといいですね。今度仁摩町にできる図書館に砂研究所があるといいんじゃないかな、と思っているんですよ。」「あ、それはいいですね」「私たちが言っても通りませんから、先生から言ってくださったらどうですかね」「仁摩町は砂時計と鳴り砂ですよ。だから、それくらいのことはあってもいいとおもいますけんどね」「わたしは、海は大好き、、、よくいくんだよ。きれいな海にしておきたいですよね」

 「今日の健ちゃんは生き生きしている」女の子が言った。「・・・」「後継者を作らねばね、、、」「うん、うれしくて涙がでそうです」「いつもここを自転車で通られてますよね、、、冬でも青いジャンバーを着て走ってありますよね」「え、楽しいからおっくうではないですね」「先生は一人でしょう、お茶も出さずに、畑のもので済みませんが、、、」といって、トマトとカボチャを袋にいててくださった。「このカボチャは小さいけど、こんなものなんですよ」「ありがとうございます」

 「時々HP見てますよ。おもしろいですね」「そうですか、ありがとうございます。」「どんどん仁摩を紹介し、発信してください」「ハイ、、、」

 

・家でちょっと反省会-もの作りの楽しさ-

 昨日やって来た友達と飲んだビールが一本残っていたので、分けて乾杯した。「おいしいです。大成功でしたね。Tシャツ、ビーチバレーの人たちが見てましたよ。」「そうだね、話しは退屈そうだったけど、貝を拾うときには、みなが真剣に拾っていたし、実際いって驚きだったね。船の方は、波が高くて砂を取るのみ難儀したね。子供たちはどの船も実際にはやっていなかったね。もう少し、説明して少しは陸でやったほうが良かったかもね。砂の採取の方はどうだった」「はい、僕は1,2年生を担当したんですが、ちょっと難しかったかもしれないですね。ばてている子もいましたわ」「そうか、テントを張るなら、低学年は無理だね。次回テントを張って子供たちと調査できれば、また違った体験ができて良いかもね」「そうですね。」「今度は、本当にやりたい子供を集めて、テントを張って調査すれば良いね」「やりたいですね。今日は本当に僕はうれしかったです。子供たちが熱心にやっていたのを見てうれしかったですね」あせびっしょりの健ちゃんは、本当にうれしそうで、目が潤むでいた。「今回はスタートであり、これが成功したというのは、次もやって継続することができてから、本当の成功ということだね。今の1年生が来年やり、3年になっても4年になってもやりだせば、楽しさや面白さが身に付いたら本当に成功だよね。」「僕も丁度今の子供たちのころに志波さんに付いて回っていたんですよね。あれからもう10年近くなりますかね、、、」

 「いつも言っているように、もっともっと、10年、20年と続けることが大切だね。」「・・・」「今日のデータが、来年の調査に役立つはずだし、数年後には貴重なデータ、資料になる。これは間違いないことであって、その重要さは、継続だね。」「やっているときには、きっとこれからでも、足を引っ張るものが出てくるのは間違いない。でも、そんなものに負けないで、こんなときこそ我が道を行くだね。『出る杭は打たれる、それなら打てなくなるほどでること』と城福寺のおばあさん言われていたけど、正しくこの精神だね。悪いことをしているわけではないの、堂々とやって、継続することだね。”継続は力なり”だよ。それに創意工夫を加えていけば、鬼に金棒だよ。たとえば、デジカメでの砂の写真の取り方なども、カメラだけでは思ったのが撮れないけど、レンズを工夫したり、三脚や、下敷き、ライトなどを工夫することによって、だんだん満足の行く、人に見せれるものになっていくだろう。そうしていると、次々にアイデアが出てきて、楽しくなるし、大切な資料が溜まっていき、地元専門家になっていくんだよ。まとめるのも、きちんとしていけば、立派になるから、頑張ることだね。やることがたくさんあるけど、少しずつやるしかないね。」「・・・」「ものを作っていくことは楽しいよね」「そうですね」「見えるものを作るのも良いけど、自分の中に新しい考えができていくことがまた楽しいよね。そうしていると、人との輪も広がっていくし、情報がたくさんはいるようになってくる。でも、中には情報を盗んでいくもののいるけど、そんなときは悔しいね。」

 これからは、鳴り砂、微小貝、草花のデータベースを作ったり、水琴窟や豆腐などもやりたいよね。コンピュータの勉強もしなければならないし、、、やることは本当にいっぱいだわ。水琴窟の卓上型のアイデアがあるから、ちょっとやってみようかな。

おそろいのTシャツスタイル、自転車の荷物
挨拶の松浦(醤油屋)さん-中央-
いよいよ船出、波が高いな〜!
汀線からの距離を測る100mのPPロープ
昼食
親子でおいしいサザエご飯とタクワン
砂浜に座ってご飯、おいしいよ!

お母さんの炊きだし、私たちも頂こうよ!
測定風景(安息角)
高山会館で話を聴く
座って講義を聞く

微小貝拾いに熱中
ルーペで、小さな小さな貝を見つける
狭い通路でも貝拾い

微小貝拾いに熱中
お母さんも顕微鏡の微小貝に感激!

これダイヤモンドですか?
まとめ

最近の健ちゃんは、生き生きしてるね!
写真のお礼に
久しぶりのトマトの香り




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