琴ヶ浜に行くと、シーズンには沢山の人たちが来ている風景に出会う。一人で浜を歩いている人、防波堤に座ってジッと遥海を眺めている人、夕陽を見ながら砂浜に座っている人、、、あるときには浜でラブレターでも燃やしているのであろうか女性の一人姿、、、人それぞれの思いを抱かせる何かの力がある砂浜、、、。

 冬の浜では見ないが、夏場にはたいていの人が裸足で浜に入っている。鳴り砂の浜の琴ヶ浜という特異性もあるのかもしれない。鳴り砂の音を肌で直接感じ取っている。鳴り砂はやはり肌で感じとることで本当の鳴り砂を知ることができると思う。ひとそれぞれの鳴り砂を体験している。

 実験で容器の中で鳴り砂を鳴らすと、音だけではなく手に伝わる感触で良い鳴り砂かどうかが分かってくる。鳴り砂は音が命であるが、それよりももっと大切なことは、音と同時に伝わってくる振動なのであろう。

 浜を裸足で歩いている人たちは、鳴り砂の善し悪しを知ろうとしているのではないことは確かである。では、どうして裸足になりその感触を好むのであろうか?五官いや第六感までを働かし、心まで届く見えない力が鳴り砂にはあるに違いない。

 写真の家族ずれ?は何を感じ取って帰られたのであろうか、、、それぞれに聞いてみたいものである。琴ヶ浜での風景である。

 

 そういえば手で擦っての鳴り砂の感触はいつも行っているのであるが、私はまだ裸足で浜の感触を感じた覚えがない。

 

2007(19)1.26,志波