石見銀山初期の銀鉱石の積出し港は,琴ヶ浜の西隣,友そして古龍であったという.この港はもう十数年前に完全に人家が無くなってしまい,そこへ行く道ももう人々から忘れられてきている.石見銀山の盛んなころは,古龍千軒といわれたほど栄えた港だったと聞いている.

 ここは,砂時計を作った数年後,一度地元の方に案内していただいたことがあり,また,三年前には小さな釣り舟で海からも案内してもらった.琴ヶ浜に次ぐ親しみのあるところである.それからは,陸から2,3度一人で歩いたことがある.

 昨年,銀山ロードを歩く会があり参加したが,その時には,大森から友まで歩いた.先日,友人出会いその際古龍の話しになった.その方は,銀山のボランティアガイドを始められ,まだ古龍へは行ったことが無いということで是非行きたいと案内を約束していた.現在は陸からは行けないと,勉強会で教わっていたという.

 気候も良くなり歩くのに,草の伸びも短く,足下もぬかっていなくて今が一番いい時期である.今日,温泉津のやきもの祭りの帰りに寄って調べることにした.(やきもの祭りでも良い情報が得られた.ハンドを現在も焼いている所があるというのである)

 車がやっと通れる道を走り,路肩に止める.「覚えているだろうか.まだ,通れるだろうか」と,ちょっと心配であったが,その心配もなくこれまで何度か行っている中で一番短い時間で行けたようであった.まだ,草は覆い茂ってなく獣道はちゃんと見えていた.途中で,手を頭の上へ伸ばしたくらいの長さに,手ごろな竹を切って杖として歩いた.急な下り坂や,誰も踏んでいない幾重にも重なった落ち葉で足を滑らせたりするので,こんなときは杖は絶対に必要である.

 今日は残念ながら,こんなときには必ずかぶる帽子をかぶっていなかった.大きな木が倒れ所々道を塞いで,誰かが枝を落としていたが,その枝は頭の高さよりちょっと低いくらいで頭を下げなければならないくらいにあり,行きも帰りもその切り株に頭をぶつけ,ついに帰りには血を流してしまった.大事にならず良かった.持ってきていたノコで安全な高さのところで切断した.

 しばらく歩くと浜へ通じる道の風景,,,良く覚えていた.間違うこともなく出てきた,と安心する.きれいに石組みされた跡,竹やぶ.むかしはどんな家,人々が住みどんな生活をしていたのだろうかと想像してみた.その反対側の崖の麓には水を貯めるためのような四角い石組の穴があったりした.石垣は緑苔一面に覆われている.栄光の跡を思わせる.

 時期もあるが,前回はぬかるみの道であったことを思いながら歩く.道脇にはスミレやキンポウゲ,イカリソウなどの草花がきれいに咲き乱れている.そんな草花を見,時々写真を撮った.谷間にこだまするウグイスの鳴き声を聞きながら,今日は普通の靴でも簡単に歩け,あっという間であったと感じさせる短い時間で浜が見えてきた.

 なんという花だろうか,菜の花を思わせるような花が浜の手前一面に咲き,きれいな風景の海であった.しかし,ドラム缶や朽ち果てた冷蔵庫,大きな発泡スチロール製のブイなどが森の中に打ち上がっている.

 ここまでで,今日の目的は終である.もちろん,砂を調査した.

 やはり砂は洗浄されていなく,粘土質に近い砂である.それは周囲を見ればそのことは簡単に理解できた.今にも壊れそうな絶壁があちこちに顔を覗かせている.その風化したものがどんどんと堆積しているのである.当然鳴り砂ではない.更に,奥まった地形の浜であり,きっと大荒れの海になったところで,浜までは大波は押し寄せてこないであろうと思われるほど長細い.それだからこそ,むかしの小さな舟は荒れたときには治まるまで停泊し行動することで安全に出入り出来たのであろう.

 波静かであり,海水浴をするには良いところかも知れない.しかし,道のりが大変である.

 少し外海の方へ岩伝いに右回りに歩いた.忘れていたが,洞窟内に亀が岩を登っているかのような奇形な岩が望め写真を撮った.時間と時期によってはこの中に夕陽が沈む風景に出会えるであろうとその風景を想像してみた.

 帰りは,持ってきていた鉈でちょっとだけであるが,枝打ちをしながらゆっくりと戻った.登りはやはり少々息が切れた.久しぶりに良い汗をかいた.



古龍の場所