大森トンネル完成開通




<<< 新道から旧道を廻った景色 >>>

中央の家は、浄光寺。右へ入ると旧道
浄光寺から入った新道。トンネルまで登坂
トンネル入口手前100m程に、レリーフ説明文

石州判銀の説明文(仲野義文)
説明文の看板
琴ヶ浜の説明文(志波靖麿)

石州判銀レリーフ(仁摩側)
トンネル仕様
琴ヶ浜レリーフ(大森側)

大森の町を流れる銀山川。この奥が銀が掘られていた地域
新道に掲示されている大森側の道路標識
城山神社。この右側に新道が走っている。

代官所跡。今は石見銀山資料館(仲野氏はここで調査・研究)
大森の町内には、お祝いのポスターがあちこちに!
旧道にある勝源寺。これから300m位で大森隧道

大森隧道(大森側)。自転車で通るとひんやりして気持ちいい!
大森隧道レリーフ。昭和19年(?)に改修工事
隧道横の苔むした崖からは涌水が、、、ここでよく顔を洗った。

JR仁万駅から大森までを走る定期バス(ミニバス)
曲がりくねった旧道
旧道から戻ってきた浄光寺(右)と標識

照善寺。右側に鐘楼と梵鐘がある。
凌霄花(ノウゼンカズラ=町花)が這う奇巌
石見八幡宮、旧道からさらに少し奥まったところ

ゴリラ岩(ゴリラの顔に見えませんか)
後300mで国道9号に出る。左へ行くと琴ヶ浜、直進はJR仁万
白砂青松の琴ヶ浜
石州判銀

「石州」の極印があることから一般に「石州判銀」と呼ばれるが、

正しくは「石州御蔵灰吹銀」である。これは銀山で生産された

灰吹銀の品位を目利きするための手本銀であり、通常は代官所の

御銀蔵に保管された。

 江戸時代石見銀山は幕府の直轄鉱山として、その台所を支える

重要な役割を担った。そのため幕府は買上制を導入し、産銀を

一元的に管轄した。

 幕府への石見銀の上納は毎年10月下旬に大森を出発し、尾道まで

の約130kmの道程を3泊4日かけて馬で運んだ。尾道からは海路で

大阪に、最後は京都の銀座で幕府の貨幣に鋳造され全国に流通した。

なお、銀座には全国から銀が買い集められたが、なかでも石見銀は

良質の銀として扱われた。

                     石見銀山資料館

                     学芸員 仲野義文

ロマンチックな琴ヶ浜

 山陰本線馬路駅から 肩を寄せ合うように寄り添う集落を抜けると 

松の間々に渺々たる日本海を控えた 白砂の浜が目に飛び込んでくる。

 この浜に踏み入ると 歩々の度に「クックックッ」と 瑶琴を奏でる

に似た琅然なる音が 足下から鳴り響びいてくる。それ故 いつしかこ

の浜を「琴ヶ浜」と 呼ぶようになった。 白砂青松で風光明媚な琴ヶ

浜は 古来よりその妙音を絶やすことなく 今日に至っている。

 一時も休むことなく 寄せては返す波の動きにより洗われ続けている

白砂は 擦れ合いながら 次第に円くなり 淘汰され 粒の揃った木目

細かな砂に変わり 美しい音を発するようになった。

 このような砂は「鳴り砂」と呼ばれ 特にここ馬路町の琴ヶ浜は 屈

指の鳴り砂の浜として 世に広く知れ渡っている。

 一日の終わりを告げる夕陽 静かに寄せ引く波の音 飛び交う鴎のさ

えずり そのロマンに浸れるところ それが琴ヶ浜である。

                   仁摩サンドミュージアム

                   客員研究員 志波靖麿

渺々:ビョウビョウ=水のはてしなくけむるさま。また、はてしなくひろがるさま
瑶琴:ヨウキン=美しい音色を出す琴
琅然:ロウゼン=玉のように美しい音