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-2002.8.14-

お盆

 昨年は、健ちゃんと琴ヶ浜でテントを張って、浜で鳴り砂の24時間調査をした。早いものである。あれから一年が過ぎた。「今年はやらないのですか」昨年までは知らなかった人から声を掛けられた。今年の子供たちの琴ヶ浜体験学習で知りあった父兄であった。

 昨日、松浦さんから「一杯やりませんか」とお誘いを受けていて、健ちゃんも誘って、馬路の盆踊りに出かけた(8月14日)。

 電話が健ちゃんから入ってきた。「もしもし、今から行っていいですか」「あ、いいよ。今食事をしているけど、、、」ちょうど夕食をとっていたときで、8時少し前に健ちゃんがやってきてた。8時半頃出かけた。ポプラでビールを買って背負った。

 下弦の月が見え隠れする少し曇った天気だった。いつもの天河内の道を自転車で走った。もう、秋の虫達が夏の虫と合唱していた。「涼しくなりましたね」部屋では、風の通りが悪く、自転車で走ると一段と風の涼しさを感じることができた。

 家々からは、明かりがたくさんこぼれていた。静かな線香の香りも漂ってきた。実家の、お仏壇や玄関に飾られた提灯そして部屋の様子が思い浮がび、お仏壇に飾られている両親と兄の顔が思い浮かんできた。自転車で走りながら、こころの中で手を合わせた。そして、7日に亡くなった知恵子さんのこと(http://www.mayuta.com/bbs-chieko/)も思い浮かんだ。

 

夜店

 焼き肉の匂いも暗い道筋から匂ってきていた。先日立ち寄った家にも明かりがついていた。親戚一同が集まって、納涼をされていた。「今晩わ!」少し大きな越えて狭い畑の向こうのみんなに声を掛けた。「・・・」みんなが一斉に二人の方に顔を向けた。「健ちゃんです」と知らせた。そのままの速さで手を振って通り過ぎた。

 9号線にでると、車の往来が時期がら多かった。1km程はあるちょっと急な坂道の歩道専用の道を、ギアを落として走る。登り終えたころではやはり息が切れ汗が額から噴きだしてくる。「こちらから行こうか」登りきったところから右に折れ、曲がりくねった坂道を下り一気に馬路に入った。

 

懐かしい夜店


 盆踊りは、琴姫の碑のある前で行われる。浜に着くと、浜の中央付近に立っているやぐらから提灯が張られ、祭りの音頭が浜に吸い込まれていた。一軒の出店がでていた。懐かしさを覚え、写真を撮った。「こんばんわ」琴ヶ浜体験学習に参加していた、4年生くらいの女の子が可愛らしい浴衣を着て、その店で何かを買っていた。「・・・」笑顔で応えた。「何を買ったのかな?」「・・・」浴衣姿の首にネックレスが下がっていた。

 人はまだ、まばらで浜にもほとんど人は降りていなかったが、あちこちから「ヒュ〜ヒュ〜ヒュ〜、パンパン」と花火が夜空を飾っていた。「健ちゃん、ちょっと待ってみるか」防波堤に腰を下ろして、浜の様子や海の家の人たちの様子をみながした。通る人が増えてくる。挨拶するのが多くなった。人通りが増えたというより、馬路の人との出合いが多くなって知り合いが増えた性が主である。ひょっとしたら、失礼している人もあるかもしれないと、こんなときは思う。

 どれだけの時間が過ぎただろうか。9時は過ぎていると思われるが、まだ、松浦さんは見えない。「健ちゃん、高山会館に行ってみようか」会館は遠くから見て真っ暗であった。「だめだね」こんなときに浜から少し離れた高山会館に集まるはずはないと判断し、浜に戻り、待つことにした。

 狭い通りは、肩を擦れ合うほどの人になってきた。よちよち歩きの子ども、浴衣姿の女の子、現代風のファッションの若い女性やピアスの青年、おじいちゃんおばあちゃんに手を引かれた孫、犬を抱いた中年の女性、、、いろんな人が行き交っていた。「恭子さんではないかな?」健ちゃんは浜の中に城福寺の恭子さんを見つけ、堤防から飛び降りて挨拶していた。そのグループには、東京の岩崎さんもいた。「こんばんわ、何時来たんですか?」「一昨日かな、、」彼はコンピュータに詳しかった。「いいメモリーを見つけましたよ。デジカメのスマートメディアを差し込むだけで、ファイル名やメモリーのフォーマットをやってくれるんですよ。2GBあるから、もう、重たいコンピュータを持ち歩くことはないですよ。志波さんには持って来いじゃないかな。名前を忘れてしまったけど、これは掘り出し物ですよ。3万円くらいだったかな」「そうですか、、、欲しいですね」

 

約束

 そんな中に松浦さんが見えた。「ごくろうさんです。暑いですね」「こんばんわ。龍野さんは、、、」時間は10時近くになっているかもしれない。「これからが本番でだけ。それにしても遅いな、、、」松浦さんは携帯を掛けた。「志波さん、龍野さんです」健ちゃんは龍野さんの姿を出店の前に見つけた。松浦さんを今度は探し、4人が揃った。

砂浜に座って踊り観戦
砂浜に舞台
ベテランの踊り
浴衣姿で盆踊りの子供たち
収録の龍野さん
普段着で軽やかに踊り
太鼓を打ち続ける
浴衣姿で盆踊りの子供たち


 もう、舞台の周りには大勢の人が輪を作って、踊っていた。龍野さんには、盆踊りを記録してもらうためである。その資料は、琴ヶ浜を紹介するための一つの紹介として、日本鳴り砂ネットワークのために使われることになっている。

 4人は、大きな輪の中央に入って、ビデオ取材のライトの準備をした。二つのスタンド式のライトが点くと踊りの輪の一部が明るくアップされ、老若男女の踊る姿が浮かび上がった。龍野さんは、子供たちやお年より、ジーパン姿の若い女性、足の動き、ときには太鼓の舞台へ上がって打ち鳴らす太鼓叩きの雰囲気、、、舞台からの祭りの雰囲気、、、といろいろな琴ヶ浜の盆踊りをビデオに収め回った。

 そのライトを使って、アマチュアのカメラマンなどが、記録していた。私も何枚かデジカメで撮ったが、明るさ不足でどうしても手ぶれを起こしてしまう。こんなときにはやはりビデオが威力を発揮していた。踊りは絶えることなく輪が動いていた。

 子供たちも踊りの輪に加わっていた。「こんばんわ、かわいいね」先日の体験学習に参加していた子供たちである。「あの、プリントするTシャツ、見つかったよ。だから、印刷して。約束してたでしょう」「そう、じゃ、やってあげるね。名前を教えてね」「うん」

 撮影を終えることにした。二つのライトを消した。辺りは提灯の薄暗い明かりに変わった。「ライトは熱いからそのままにしておいて」輪の中から離れていった。

 

昔話

 「ごくろうさんでした。いっぱいやろうか」松浦さんは生ビールを頼まれていた。店は、たくさんの人で列ができていた。「わしは車で来てるからいいで、、、」「車は置いていきましょ」「いや、明日があるから」「そうだわね、お盆でいそがしいでね」龍野さんは、龍禅寺のご住職でありお盆は忙しいのである。「じゃ、ラーメンでも頼みますわ」狭い店は一杯で、防波堤の台もそして琴姫様の前もゴザを敷いて宴会がなされていた。こちらのテーブルでは、馬路中学校6期生、あちらでは16期生の同級会の2次会、、、と賑わっていた。今晩は仕事でないのでと馬路の駐在さんも、店の横の少し暗いところの休憩所で一緒に飲んだ。いろんな昔話が飛び交った。むかしは店が浜の方にずらっと並んで、花火もすごかった。店はほとんどが花火を売る店だったね。踊りも二重三重の輪ができて、一回りするのに1時間以上掛かっていたわね。臨時列車がでるほどで、わいわい、、、。喧嘩もしていたし、ひどかったね。そう話すのは今の駐在さんである。ビールはすぐに無くなり、なんども生ビールがでてきた。私の持ってきていたものはもう温くなっていたので出さなかった。途中トイレにたったが、公衆便所はあるものの、電気もついていなく真っ暗である。しかし、その分夜空がきれいに見え星が輝いていた。

琴姫の碑前で同級会の二次会
子供会で飲み物とお菓子を
琴姫の碑前で同級会の二次会
一軒となった海の家はいっぱい
疲れてコンクリートの上に
一軒となった海の家は行列

 


隠れたファン

 子供たちの姿が消えて踊る人の輪も少し小さくなってきた。我々の宴会も酣を終え、置いていたライトをしまうために浜へ降り肩付けた。戻り防波堤を上がったとき「志波さん、ちょっと紹介する人がいるで」と太鼓を叩いていた松浦さんがやってきた。「この人はわしと同級生で今大阪にいて、志波さんのホームページを見ていて、是非会いたいと言ってて、、、」「こんばんわ、わしは毎日志波さんのHPをみてまんねん。」言葉から大阪にいることがすぐに分かった。「そうですか、ありがとうございます」「いやいや、こちらこそ、、、大阪にいて馬路のことが志波さんのHPに沢山でているので楽しみに見てるんですわ。他から来た人があんなに馬路のことを紹介してくれてはるんでうれしいですわ。他にも仲間がいて見てるんですわ。隠れたファンですさかい、どんどん紹介してくださいよ」「はい、わたしは琴ヶ浜が好きですので、鳴り砂のことだけではなく、花や祭りやいろんなことをデータベースにしようと思って、少しずつやっています。そうなると、もっともっと頑張らねばなりませんね」「や、無理せずに」「この度はお盆でお帰りですか」「まー、そうですね。それと同級会があったのでそれも楽しみに帰ってきたんやわ。あそこでやっている連中ですわ」「あれ、あの人は美鈴さんでしょう。同級生ですか」「何で知ってはりまんねん」「え、砂時計を作るときに、あそこの民宿に泊まっていたんです」「今度の会は、美鈴さんが幹事で手紙を出したりしてくれまして、ようやってくれはりました」

 「あれ、志波さん、どんな関係?」話していたら美鈴さんがでてきて、不思議そうにしていた。「HPで知りあったんやわ」「志波さんはあちこち知ってあるからね、、、」「そうですな、HPをみていて、そう思われますわ」防波堤で長い間座って話をした。

 「それじゃ、、、これからも楽しみにしてますさかい、頑張ってや」握手をして別れた。

 

盆踊りの体験

 元のところに戻ると、健ちゃんは近所の人といつもの興奮で鳴り砂のことや水琴窟のことなどを話して、盛り上がっていた。松浦さんも駐在さんと昔話がつづいていた。龍野さんは、途中で帰られた。

 話しは尽きることがなかった。店の椅子が重ね合わされ、店じまいが始まっていた。踊る人の輪も小さくなってきたが、なおも太鼓の音は浜に響いていた。「さ、志波さんこれから踊るで。鳴り砂を研究するなら、踊りも覚えなきゃ、、、」松浦さんは、新任の駐在さんも誘って浜に我々を率いて降りた。何の指導もなく、さー踊り、である。裸足になると、砂はひんやりとして気持ち良かった。昨年の鳴り砂調査のことが思いだされた。地元の人の後について、わたしも踊り始めた。なかなか難しい。足元を見て、手振りをみて、そして時には太鼓のリズムに耳を傾けておどったが、合わない。何周りかして何となく、踊りの周期が分かってきたが、手を合わせると、足がついていかなく、終わりまでその完全なリズムはつかめなかった。数人前で踊っている健ちゃんは、大分上手にみなと合って踊っていた。結構足の裏が擦れているのを感じた。

 人気が少なくなってきた。「志波さん、ラーメンでも食べますか。健ちゃんもどうかな」「わしはいらんで」と駐在さん。「そう、じゃもう一杯(ビールを)たのむか」「今日は祭りだで、パッといかなきゃ、、、」戻ってきた松浦さん「ラーメンは売りきれで、うどんにしたけ」

 しばらくして、うどんとビールが別々に運ばれてきた。食事はしてきていたが、時間も遅くなり、お酒の後のうどんはおいしかった。話しがまたつづいた。「明日は、銀神輿がでるで、志波さん見にきませんか」「それは何の祭りですか」「海の祭りで、友の厳島神社から船に乗せた神輿が出て、砂はずれの所まで来て海の中に神輿を投げ込んで、陸に運んでから背負って町中を歩くんです。でも、海に放り込むことは、昨年からやめになって、車で砂外れのところまで持っていて、練り歩くんです。今も舟だけは友から出て琴ヶ浜を2周してるけどね」「そうですか、何時からですか」「10時から花火が揚がりますわ」はじめて聞く話で、ぜひ見てみたいと思った。

 

体験学習は次回

 「じゃ、そろそろお開きにしますか。今日は、高山会館に泊まるだね。鍵はあるから、、、健ちゃん頼んだで。志波さんは酔ってるで」そんなによっているほどではなかったが、、、「はい分かりました」「それも体験学習だでね」と浜で別れた。「どうします?」健ちゃんは、泊まることを聞いてきた。「帰るか、、、」「そうしましょう」ライトを忘れた健ちゃんは浜に戻って取ってきた。泊まらず帰ることにした。9号線にでることなく、町中を通って9号線にでると、9号線の中を走ることなく、区切られた歩道を走って仁万まで帰ることができる。いつもより大きなギアを使って、ゆっくりと急な坂道を上る。天河内の下り坂になると、風は肌を切りヒンヤリとしていて、身体は汗ばんではいるものの気持ち良かった。

 「はじめて踊りました。良かったです。いい思い出になりました」「そうね、私も始めてで、、、なかなか覚えられんわ」もう天河内の家々は真っ暗である。街灯の明かりだけが通る道を照らしてくれていた。「じゃ、お休み。」メゾンの入り口で別れた。

 部屋の明かりをつけると、時計は2時半を回っていた。汗を流してベッドに入った時は3時を過ぎてしまった。

 明日の予定を思い浮かべながら、明日は銀神輿がでる、、、寝込んでしまった。

2002.8.16,志波


 

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